ブリティッシュロックの歩み

1 その黎明期

 僕の年代(1960年生まれ)に限らず、ロックとはイギリス(イングランドともUKとも呼ばない)で生まれたものと思いがち(僕だけ?)だが、ロック発祥の地はアメリカである。その雄は、これを読んでいる人なら誰もが知っているエルヴィス・プレスリーでありチャック・ベリーらであった。しかし、これらに続いて現われたスターはビートルズであり、イギリス人であった。
ビートルズは1962年にイギリスでデビューし、64年にはアメリカ進出に成功する。
 ビートルズは、ジョン・レノンとポール・マッカートニーという2人の天才が並び立った奇跡のバンドといえる。しかし、実は、63年にはローリング・ストーンズ、64年にはザ・フー、キンクス、65年にはスモール・フェイセスらがデビューし、また、スモール・フェイセス以外はアメリカ進出に成功し、そのスモール・フェイセスもイギリス国内ではむしろザ・フー以上に早く成功していたといえる点からは、これらのバンドが次々現われたこと自体がイギリスの奇跡であったといえるだろう(ブリティッシュインヴェイジョン)。

2 スーパーグループ全盛期

 忘れてならないのは、スモール・フェイセスもアメリカで一定のファンを掴んでいたことであり、さらに、この当時、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジらが在籍したことで知られるヤードバーズやスティーヴ・ウィンウッドが在籍したスペンサー・デイヴィス・グループ(以下「SDG」という)などのイギリス出身のバンドも、コアなアメリカのロックファンの間で注目を集めていたことである。
 そして、これらのバンドのメンバー間でシャッフルが始まった。このシャッフルが、実現しなかったものも含めて実に興味深い。有名どころを見ると、ヤードバーズの上記3名のギタリストが様々なバンドにちょっかいを出している印象であるが、特に人気があったのはスティーヴ・ウィンウッドとスティーヴ・マリオット(スモール・フェイセス)だったようだ。まず、65年にヤードバーズを脱退したエリック・クラプトンが、翌年、ブルースマンの間で人気のあったジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーとともにクリームを結成し(実はこの時点ですでにスティーヴ・ウィンウッドはクラプトンに誘われている)、そのライヴパフォーマンスは多くのロックミュージシャンに大きな衝撃を与えるとともに、そのサウンドや演奏スタイルは後続の多くのロックバンドに強い影響を与えた。
 これを皮切りに、67年にはヤードバーズを脱退したジェフ・ベックが、当時無名であったロッド・スチュワートやロン・ウッドらを誘ってジェフ・ベック・グループ(第1期)を結成する。彼らは68年にトゥルース、69年にベック・オラをアメリカでヒットさせるも解散し、同69年にはクリームを解散したクラプトンがスティーヴ・ウィンウッド(SDGを脱退後トラフィックを結成・脱退)、ジンジャー・ベイカーらとともにブラインド・フェイスを結成したが、アルバム1枚を発表しただけで解散する。その一方で、その前年68年は、ジミー・ペイジがジェフ・ベック・グループのトゥルースに強い影響を受け、ボーカルにスティーヴ・マリオット、ベースにジョン・ポール・ジョーンズ、ドラムスにキース・ムーン(ザ・フー)を誘ってレッド・ツェッペリンの結成を計画するも失敗する(ペイジはスティーヴ・ウィンウッドにも断られていたようだ)。他方、スティーヴ・マリオットは、69年にスモール・フェイセスを脱退し、アイドルバンドとして人気のあったハードのピーター・フランプトンらとハンブル・パイを結成する。そして同年、自己のバンドを解散したジェフ・ベックは、アメリカのヴァニラ・ファッジのティム・ボガード、カーマイン・アピスにロッド・スチュワートを加えてスーパーグループの結成を目論むが、自身の交通事故で計画は頓挫する(その後のベックは、ボブ・テンチ、コージー・パウエルらと第2期ジェフ・ベック・グループを結成・解散し、ようやく念願のBBAを結成したが、スタジオとライヴの2枚のアルバムを発表し、これらはアメリカでヒットするも解散する)。さらに同年スモール・フェイセスは、ジェフ・ベック・グループを脱退したロン・ウッド、これに遅れてロッド・スチュワートを加入させてバンド名をフェイセズに変更し、ジミー・ペイジはスティーヴ・マリオットの代わりとしてマリオットに心酔していたロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムをメンバーとしてレッド・ツェッペリンⅠを発表する。そして、キース・ムーンを失うことを免れたザ・フーは(キース・ムーンにザ・フーを辞める気は全くなかったらしいが)、同年トミーを発表し、ライヴバンドとしてだけでなく、ようやくレコードセールスの点でもアメリカでの成功を手に入れたのである。その他、かつてクラプトンも在籍したブルース・ブレイカーズのミック・テイラーがストーンズに加入したのもこの年である。付言すれば、後述のELPもスーパーグループであり、そのデビューは70年であった。
 さらに、この時代は、テン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リー、テイストのロリー・ギャラガー、フリーのポール・コゾフらブルース系ロックギタリストが大人気であったのも大きな特徴といえる。なお、当時のイギリスでクラプトンと並んで大人気だったジミ・ヘンドリックスは、アメリカ人ではあるものの、そのデビューの経緯から僕はブリティッシュロックの範疇に含めている。僕はヘンドリックスをブリティッシュロック界における最初のレジェンドと考えるが、ここでは触れない(後述する)。

 ロックの多様化

 上述のスーパーグループはELPを除いてほぼすべてブルースロックのバンドであったが、この頃からブリティッシュロックは多様化を見せる。以下にそれを見てみよう。

⑴ プログレッシヴロック
 まずはいわゆるプログレッシヴロックの台頭があった。最初に人気が出たのはキング・クリムゾンだ。このバンドはデビュー作オープニングの「21世紀の精神異常者」におけるファズボーカルでロックファンの度肝を抜いたが、グレッグ・レイクがボーカルを担当していたことでも知られる。そのグレッグ・レイクはその後、70年にキース・エマーソン、カール・パーマーとともにELPを結成し、ELPはそのルックスと激しいライヴパフォーマンスで人気を得た。イエスは、デビューこそELPより早く69年に果たしているが、デビュー当初は、ビートルズやザ・フー、ストーンズなども傾倒したサイケデリック色が強く、リック・ウェイクマンの加入後に発表された「こわれもの」、「危機」によりブレイクを果たした。しかし、当時のプログレッシヴロックにおいて、最もアメリカで商業的に成功したバンドはピンク・フロイドであろう(ジェネシスは聴いていないため論評できない。ごめんなさい)。
 もっとも、僕個人としては、イエスとELP、とりわけELPは、18歳の頃にファーストアルバムの「未開人」と「ナイフ・エッジ」を聴いて、レッド・ツェッペリンを凌ぐ不安定感、さらにはその攻撃性に衝撃を受け、ファーストから「恐怖の頭脳改革」まで一気に買ってしまった。イエスについても、「危機」の美しさ・危うさと緊張感は唯一無二のものと感じており、それらに比せば、ピンク・フロイドの印象はかなりポップなもので、彼らは幻想的と呼んでほしいだろうが、僕にはBGMに映ってしまうのだ。
プログレッシヴロックとは何か、言葉の意味からは前衛的なロックとなろうが、この意味であればサイケデリックロックがそれにあたるような気がする。一般的なロックファンの認識では、クラシックの影響を強く受けた、ギターではなくキーボード中心の、大作志向のロックとなろうか。

⑵ グラムロック
 この言葉自体はその音楽的特徴を表わすものではなく、70年以降に登場したバンドの中で、化粧を施して中性的キャラクターを演じたバンド、とりわけデヴィッド・ボウイやT・レックス、ロキシー・ミュージックなどがグラムロックと呼ばれた。クイーンをグラムロックと見る考え方もあるらしいが、僕はそうは思わない。
 グラムロックとは、T・レックスに代表される極めて単純でキャッチーなフレーズの繰り返しと当時から捉えられており、この意味からは、上記の中でこれにあてはまるバンドはT・レックスと「ジギー」だけである。そうだとすると、グラムロックとは、T・レックスとこれを模倣して消えたバンドを指すのかもしれない。だから、上記の中でT・レックス以外はグラムロックでないことになる(消えていないから)。

⑶ ハードロック
 70年代に最も活発であったのはハードロックであろう。その筆頭は、何といってもディープ・パープルである。デビュー作ではないが、70年に発表されたイン・ロックは、レッド・ツェッペリンのようなブルース色が少なく(イントゥ・ザ・ファイアはバッキングではE+9で押し通し、ギターソロのスケールもブルーノートなのだが、リッチー・ブラックモア特有のギターのトーン・フレージングのせいかブルース色が薄い)、ストレートでハードなディストーションサウンドによりロックファンに強い衝撃を与えた。ブルースの影響の強いレッド・ツェッペリンを除くと、これにユーライア・ヒープやUFO、ブラック・サバスらが続く。だが、ブリティッシュロックとしては、これらにやや後れるバッド・カンパニーがアメリカで大成功を収め、また日本でも大人気となる。さらに、日本で忘れてはならないのはクイーンである。このバンドはコーラスの美しさからはイエスの影響が色濃く伺われるが、初期のサウンドはハードロックと呼ぶのが相応しい。それと、当然だがレッド・ツェッペリンもハードロックに分類される。
 もっとも、ハードロックの時代になると、その主流は徐々にアメリカに移行する。まずは、改名直後の73年に発表されたグランド・ファンクの「アメリカン・バンド」がアメリカ中で熱狂的に迎えられ、全米1位の大ヒットを記録する。まさにグランド・ファンクは、アメリカ人が長らく待ち望んだ「アメリカンバンド」の中からのスーパーヒーローとなったのである。このアメリカらしいマッチョ系としては、同時代ではZ・Z・トップ、BTOなどが挙げられようか。また、いわゆるライトハンド奏法(いまはハンマリングオンやプリングオフと合わせてタッピング奏法というのが一般的らしい)のヴァン・ヘイレンがデビューしたのは78年であり、これにクワイエット・ライオットやモトリー・クルー、ボン・ジョヴィらが続く。これら以外にも、いかにもアメリカ的な大らかなディストーションサウンドとしてジャーニー、トトなども現われる。ボストンもここに含まれるか。これらはエイジア(スティーヴ・ハウ、ジョン・ウェットン、カール・パーマーらで結成されたスーパーグループ。よってこれも一応ブリティッシュといえる)らとともに産業ロックとの位置づけもあるが、産業ロックは80年代のトレンドであるのでここでは割愛する。
 しかし、アメリカにおいてもブリティッシュロックから強い影響を受けたバンドが存在し、大人気を得ていた。その筆頭は東海岸から生まれたエアロスミスである。同じく東海岸のキッスもサウンドだけならここに入ろうか。東海岸ではないが、クイーンと同じく日本から人気に火が付いたチープ・トリックにもブリティッシュロックからの色濃い影響が伺われる。もっとも、エアロスミスなどは、ブリティッシュロックの影響はあるものの、それはディープ・パープルやユーライア・ヒープなどのブルース色の薄いバンドではなく、ツェッペリンやストーンズなどの流れ(一見全く異なるように見えるが)を汲むものである。

⑷ パンクロック、ニューウェイヴ
 ロンドンパンクとは、ロックが高度な音楽理論や演奏テクニックを持った一部のミュージシャンだけのものとなり、これをティーンエイジャーに取り戻すものとして一大ムーヴメントとなったものである。
 80年までに成功したバンドとしては、セックス・ピストルズ、クラッシュ、ジャム、ストラングラーズなどがあるが、アメリカで成功したバンドはクラッシュのみである。ポリスはここに分類されるべきではない。