ジョン・ボーナム

 かなり前に、ジョン・ボーナムとキース・ムーンがそれぞれ入れ替わっていたら、ツェッペリンとザ・フーはどうなっていたか、をかなり真面目に論じたイギリスかアメリカのミュージシャンの話を読んだことがある。これを書くにあたってそれをインターネットで探したが、見つけられなかった。記憶では、そこでも「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」を仮にキース・ムーンが叩いていたら、なんてことが書いてあったが、たしかにキースなら、それはそれで我々には想像もつかないような凄まじいドラミングを見せたであろう。しかし、あのレッド・ツェッペリンのデビューアルバムオープニングとしての、あのとてつもない衝撃はなかったといえるだろう。

 上でザ・フーについて、ドラムの音の大きいバンドだと書いたが、それはツェッペリンも同じである。ファーストの「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」では、ロックファンのみならず、多くのドラマーがそのパワーに度肝を抜かれた。そして、あのいわゆる頭抜き3連のキックの連打は、最初は誰もがツインバスだと信じていたところがワンバスだと判り、さらに世のドラマー連中を完全にノックアウトしたのである。しかし、「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」についてはあのキックの連打ばかりが注目されるが、あのイントロから歌になだれ込むところの3連での畳み掛けるような大音量のフィルインも、歴史的名盤のオープニングでの名刺代わりの一発として大好きなところである。

 ボンゾのキックについては、あまりに音がでかすぎてジョン・ポール・ジョーンズがツインバスの一つを隠した、なんて逸話もある。本当だろうか。僕が読んだ話では、ジミヘンは「あのカスタネットのような足が欲しい」と言ったと記憶していたが、ジミヘンは「戦車のジャンプ」と言ったとの話もある。誰が言ったか忘れたが、「象のスキップ」と呼んだ人もいた。ボンゾと言えば、「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」がその代名詞となっているが、「移民の歌」のキックパターンも有名である。この曲のキックもドラマー泣かせだとよく聞くが、なんというか重戦車が軽やかにつんのめりながら進む感じは「象のスキップ」の表現がぴったりである。

 もっとも、ボンゾについては「ブラック・ドッグ」が謎なのである。あの曲でボンゾがもたっていると思う人はいないだろうか。インターネットを見ていると同じようなことを疑問に感じる人がいるらしく、「ブラック・ドッグのドラムがもたっている」→「ということはジョン・ボーナムはリズム感が悪いのではないか」という質問があった。これに対しては、このページを見失ったので記憶になるが、ほとんどの回答は「グルーヴ感」がどうのこうのとか「これぞボンゾ」だからおかしくないというものだった。しかし、これらの回答者が本当にボンゾを好きなら、また、僕の記憶が確かなら、こんないい加減な言葉でどうして解決したことにできるのかと不思議に思う。僕が思うには、「ブラック・ドッグ」では、ペイジのギターが走っているというか、そもそもペイジには正しいリズムで正確に弾こうという意識がないように見えるのだ。そうであれば、ボンゾはギターのリズムに惑わされず、よくぞマイペースでリズムを刻み続けたものだと感心してしまうのである。同じようなことは、「永遠の詩」のライヴでの、とりわけ「幻惑されて」のギターソロ前半のバックでのボンゾのリズムキープにおいても感じられる(この曲ではジョン・ポール・ジョーンズも、ペイジのリズムから自由なギターに影響されず一定のフレーズを弾き続けているが、このリズム隊とペイジの自由なギターが織りなすコントラスト、というか不安定感こそがツェッペリンの魅力なのだろう)。僕もそうだが、多くのツェッペリンファンがボンゾに感じるリズム感の異様さとは、ペイジの自由なギターとのコントラストがその正体ではないだろうか。まあ、あのつんのめるようなキックもボンゾのアイデンティティーであり、これもあの異様さの要因に含めて構わないと思うが。

 ところで、僕のボンゾが好きな理由も、キース・ムーンが好きな理由と同じである。すなわち、フィルインのフレーズが多彩であり、同じ曲の中で同じフレーズを決して叩かないだけでなく、そこでのフィルインに相応しいフレーズを叩いてくれるところにある。換言すれば、ボンゾのフィルインも歌っているのである。加えて、二人とも3連系のフレーズをよく叩いてくれることも大きい。僕にとって、曲の決めの部分で3連系のおかずが叩き込まれることは、DNAに組み込まれているというか、当然のことなのである。しかも、ワンパターンになってはいけないこともまた当然である。だからなのか、キース・ムーンやボンゾのような3連バリエーションの豊富なドラマーは、無条件に気持ちがいいのである。

 残念だったことがふたつある。早死に以外にも、他のミュージシャンとのセッションやライヴの記録がないこと、とりわけキース・ムーンとは親友であったというのに、ザ・フーとの接点がほとんどなかったことである。キース・ムーンがツェッペリンのステージに飛び入りで出演したことはあった(死の1年前)が、映像でキースを見ると、まるで廃人になった後のカーロス・リベラである(解る人がいてほしい!)。もうひとつはジンジャー・ベイカーに認められなかったことだ。ボンゾ自身は「俺とジンジャー・ベイカーだけが本物のドラマーだ。」と言っていたそうだが、それでもジンジャーは最後までボンゾを認めなかった。でも気にすることはない。悪口好きの彼は、ポール・マッカートニーさえも「譜面が読めない。」という理由で認めなかったんだから。