ジミー・ペイジ

 ジミー・ペイジのいい点は二つあると思う。一つは強い音(フレーズ)、不安定な音(フレーズ)を創り出す才能があること、もう一つはギターソロメイカーとして天才的であることである。もちろん、ツェッペリンの成功にはもう一点、派手なライヴパフォーマンスも忘れてはならないが、ここではその点には触れない。

 まず、強く不安定な音、フレーズを創り出す才能については、説明が困難なので思い切って説明を省略し、ただ例を挙げるに留めたい。ライヴ「永遠の詩」には多くあるが、いわゆるギターソロといわれる部分ではなく、重音弾きでの遊びのような部分に限定すると、「幻惑されて」の長い長い間奏から歌に戻るちょっと前のフレーズや、「胸いっぱいの愛を」でテルミンを使う手前のテンポを落とした部分のフレーズなどは僕のお気に入りだ。また、スタジオなら、「ハート・ブレイカー」のリフとバッキング、「アキレス」のイントロ・エンディングなどがある。

 そして、ペイジ最大の武器は、ギターソロメイカーとして類い稀なる能力を有する部分だ。ただ、問題は、ギタリストの評価方法として、「その曲に相応しいギターソロを創り出す能力」が存在することを措定して、この能力の有無・多寡をギタリストの評価基準とすることは適切なのかというところにある。

 一般にペイジのギターソロの評価としては、ピッキングの数が多い、ライヴパフォーマンスを優先し正確性を犠牲にしている、などがよく言われるところである。これに僕の客観的評価を加えると、ギタリストには珍しく上昇していくメロディーを創るのが上手い、ジェフ・ベックがミストーン(鳴った場合、鳴らなかった場合の双方を含む)を気にしないに止まるのに対し、ペイジはミストーン(同上)をむしろパワーに転化しているなどということができる(もっと正確に言えば、ペイジにはミストーンの概念すらない。極端にいえば、ペイジは「適当に指を動かしそこで適当にピッキングをしていれば、そこが適切なポジションである限り、メロディーは聴く者が勝手に想像してくれる」と思っているように感じる)。

 問題はここからである。僕はここに主観的評価を加えるのである。そして、ペイジはぞれぞれの曲に応じた(その曲に相応しい)ギターソロを創り出す能力が、他のギタリストに比して格段に優れているのだ。たとえば、ライヴ「永遠の詩」であれば、「祭典の日」、「ソング・リメインズ・ザ・セイム(永遠の詩)」、「幻惑されて」、「ノー・クウォーター」、「胸いっぱいの愛を」に出てくる総時間にして数十分に及ぶギターソロの全部について、僕はそのメロディーを全て暗記している。しかし、こんなことができるのは、これらの曲のギターソロが、全てその曲に不可欠なものとしてその曲の骨格に組み込まれているからである。すなわち、それぞれの曲が、それぞれに相応しいギターソロを身にまとい固有のカッコ良さを備えたからこそ、そのギターソロのリズム、メロディーは個性を獲得し、固有のものとして他の曲と識別され、そのギターソロは憶えることが可能なものとなるのである。

 また、ペイジについては、ツェッペリンの成功に対する妬みやその他の理由により、正当な評価が妨げられていたとは言えないだろうか。ギターが下手だ、ただの商売上手だ、黒人の財産を食い潰す詐欺師だ、などの評価の中には感情的にすぎるものもあったのではないか。そこで僕としては、ペイジを正当に評価するには普通の評価基準だけではできない、「ギターソロメイカーとしての能力(創造したフレーズの客観的な巧拙ではなく、主観的にいいといえるフレーズを創る能力)」をギタリストの評価基準に加えることが適切だ、と言いたいのである。

 もっとも、「ギターソロメイカーとしての能力」と「アドリブ能力」の関係はどうなのかは問題となる。しかし、はっきり言えることは、ツェッペリンのような一曲の長さが普通に10分を超えるようなバンドでは、ギターソロを予め全部用意して憶えることは不可能だということである。だから、アドリブの能力は絶対的に不可欠なのである。思うに、ペイジは決めのフレーズに少し長めのフレーズを用意していると思われるので、前提として、少し長めの決めのフレーズとして強く印象的なフレーズを創る才能があるといえる。そして、その決めのフレーズのスケールとリズムをその曲の個性と捉え、その制約(決めのフレーズのスケールとリズム)の中でギターソロをアドリブで創り上げていると思われるのである。

 もう一点、ペイジのギターソロの特徴としては、スケールチェンジ(トニックがAの場合にAのマイナーペンタトニックからF♯のマイナーペンタトニックに変えるなど)が多いことが挙げられるだろう。ただ、一般にこれはペイジの特徴として挙げられていない。そこで、その理由を考えてみたが、あまりにスケールチェンジが頻繁になされすぎて、スケールチェンジと捉えられていないのかもしれない(スケールチェンジとは転調であるが、すぐに戻るなら転調とはせず、スケールから外れた個々の音に#、♭を付記したほうが譜面上はすっきりする)。

 思うに、ジェフ・ベックはスケールチェンジのような奇をてらうことをせず、地道にフレーズを組み立てていた印象である(ただ突然超高音を使ったりするからトリッキーなどと言われてしまうだけだ)。短いフレーズであれ、ペイジにはポジションを変えた認識があるはずだから、スケールチェンジはペイジの特徴に挙げていいだろう。