ジミ・ヘンドリックス

 ヘンドリックスは、上記3人のギタリストと同列に語ることはできない。理由は、本来ならバンドとしての考え方から語るべきであるし、シンガーとしても無視できない個性を有する他、ソングライターとしても、上記3人とは比肩し得ない変態的才能を有するからだ。

 彼は、シンガーとしてもギタリストとしても、音程からもリズムからも自由であった。これは、彼が音楽的に大らかで自由な環境にいたということではないか。ひょっとすると、彼はイギリスに渡る前、ジャズミュージシャンと多くのセッションをしていたのかもしれない。もっとも、彼がドラッグに影響されずに演奏(特にライヴ)した記録はほとんど残っておらず、このことはヘンドリックスの悲劇(であると同時にロック界の損失)といえよう。なお、シンガーとしての彼は、音程をほとんど気にしなかった他、流行のハイトーンボイスも全く無縁であった。ヘンドリックスについてはその理由をマディ・ウォーターズに求める必要はない。単に彼の自由に反するだけだろう。

 僕はそんなヘンドリックスをいつ知ったのか。よく憶えていないのであるが、それは高校2年か3年のどちらかのはずである。もっとも、それは、リッチー・ブラックモアの代わりを探す旅の中で知ったのではない。なぜなら、当時の僕はミュージックライフの人気投票でギタリストの情報を収集していたところ、ヘンドリックスは、当時のギタリストの人気投票に入っておらず(僕の記憶では少なくとも上位にその名前はなかった)、僕の中の「聴くべきリスト」からすっぽりと抜け落ちていたからである。

 しかし、僕は高校の間に「スマッシュ・ヒット」と「エレクトリック・レディー・ランド」を買っている。そして、「スマッシュ・ヒット」では、ヘンドリックスのギターとしては、「パープル・ヘイズ」の間奏で倍音が鳴っている理由が気になった他は、ギタリストとしては「粗さ」「雑さ」が気になってしまい、僕の中では「ジェフ・ベックの勝ち」であった。その反面、ヘンドリックスの曲、すなわち彼の作曲センスは僕の興味を強く惹きつけた。たとえば、「パープル・ヘイズ」や「フォクシー・レディー」のようなストレートなロックナンバーがあったこと、「ファイアー」や「ストーン・フリー」などの独創的かつスリリングな曲があったこと、コード進行やアイデアのユニークな曲が多かった(「風の中のマリー」、「ハイウェイ・チャイル」、「ミッドナイト・ランプ」など)などの部分である。ただ、ヘンドリックスがトリオでやっていたため、たとえば「ファイアー」はあのバッキングを弾きながら歌うのか、そうだとすれば凄いことだぞ、ということには気づいていた(これだけ解っていながら「ジェフ・ベックの勝ち」などとよく考えたなと我ながら驚いてしまう。この当時は今以上にきっちりしたギターが好きだったのだと解るのだが、そうであれば、なぜペイジをあれほど好きになれたのかの疑問が浮かぶ。おそらくペイジのギターというのは弾けていなくても何となくの全体像は聴こえるのに対し、ヘンドリックスのギターは弾けているけれども全体像が適当に感じたのだろう。しかし、「トゥルース」と「スマッシュ・ヒット」を聴き比べれば、ほとんどの人は曲の素晴らしさから「スマッシュ・ヒット」を選ぶだろう。ただ、これを聴き比べて、ギタリストとしては〔どちらが上手いかではなく〕どちらのスタイルが好きか、なのである)。

 他方、「エレクトリック・レディー・ランド」は「ヴードゥー・チャイル」を聴きたいと思ったはずだが、ギターがあまりに雑すぎて嫌になった記憶がある。後に聴いた時、「ヴードゥー・チャイル」以外の曲はほとんど憶えていなかった。このアルバムは、クライベイビーを使って人がしゃべるようなギターを弾いたり(マディの「スタンディング・アラウンド・クライング」では人がしゃべるようなブルースハープが聴ける)、「ヴードゥー・チャイル」以外にも名曲があったりするのに、高校時代は何を聴いていたのかと驚いてしまう。また、「ヴードゥー・チャイル」にしても、今初めて聴いたとすれば、滅茶苦茶クレイジーでカッコいいと思ったに違いない。

 その後、20歳をすぎて、どこかで「リトル・ウィング」のライヴをカセットテープで入手し、これはその後15年以上の間、僕のヘンドリックス唯一のお気に入りとなった。この曲は、先にクラプトンの大げさなカヴァーで知っていだが、そのせいでこのシンプルなテイクがより一層好きになったように思う。「ライヴ・イン・ロンドン」の演奏らしいのだが、CDはないのだろうか。

 僕が次にヘンドリックスと出会ったのは37歳の時だった。当時20歳のブルースギター少年と出会い、スティーヴィー・レイヴォーンの「ヴードゥー・チャイル」を聴かされたことがきっかけだった。このレイヴォーンの「ヴードゥー・チャイル」が滅茶苦茶カッコ良かったのだ。ここで僕は改めてヘンドリックスを聴き直し、そのクレイジーというか、化け物のような才能を再認識させられたのである。

 僕は若い頃に京都のキャバレーでボーイをしていた。その当時、親しくしていた店のバンドマン(同じ京都のタイガースと同時代の人)に「若い頃に観たかったバンドってありました?」って訊いた時、その人は間髪入れずに「ジミヘンやな」と答えたのだが、僕はそれをカッコいいと思うと同時に凄く羨ましいと感じたのである。「団塊の世代の人ってジミヘンの生きていた時を知ってるんや!」と思うと、「絶対にその人には敵わへん」という絶対的劣等感が芽生えてしまったのである。理由は簡単だ。僕はジミヘン以外は全部現役時代を知ったうえでレコード(CD)を聴いている。ビートルズも小学生の時に毎日のように街中で流れていて知っていたし、ボンゾもムーニーも生きて活動している時代にそのバンドを好きになり、そのレコードを買っている。それに対し、ジミヘンだけなのだ。死んでからその存在を知り、後追いでレコードを買い集めたのは。それを自覚しているだけに、団塊の世代の人が、生きているうちに一番観たかった人として「ジミヘン」と答えられることに、絶対的劣等感を感じてしまうのだ。

 最後にどうでもいいことを一つだけ。「パープル・ヘイズ」で使われるコードはE+9(Eadd+9ではない)であり、これはわが国では「ジミヘンコード」と呼ばれるらしい(良い子は恥ずかしいので止めよう)。しかし、このコードはこれ以前にも僕が知っているだけでクラプトンやスティーヴ・マリオットまでもが使っていたことを知っていてほしい。