ピート・タウンゼント

 ビート・タウンゼントの名前は、この流れの中で見ると一人だけ違和感を覚えるかもしれない。一流のブルースギタリストの中に、一人だけチョーキングビブラートさえ怪しい人が交じっているからだ。しかし、ヘンドリックスとの関係を見ると、ピートとヘンドリックスの間にはむしろクラプトンやジェフ・ベック以上の深い交流があったのに対し、ペイジとヘンドリックスの間には全く交流はなかったらしいし、クラプトンとの関係にしても、ペイジはあえて避けていたように見えるのに対してピートは常に強く意識していたことから、ペイジこそこの中で一番浮いていると言えないでもない(って相当に無理がある)。

 僕はなぜピート・タウンゼントが好きなのか。上述のとおり、ザ・フーのようなモンスターバンドが全く無名であることに怒りを覚えたのが最初であったが、高校卒業後は自分の興味が作曲に向かい、また目指す音楽もジャム風のビートルズのようなものであったため、ギターソロを練習するインセンティヴが失われたことが大きい。さらに、僕は、バンドはスリーピース編成でギターを弾きながらハモりまくりたいと考えていたが、ギターがシンガーのリードメロディーの上の音階でハモるバンドはザ・フーとストーンズ以外に知らなかった。そして、何より大きかったのは、僕が20歳か21歳の時に、「キッズ・アー・オールライト」の映画でザ・フーの狂気のライヴステージを見てしまったことである。事実、この頃から僕のツェッペリン熱は急激に冷めている。

 この原因はアルバムと映画の関係にある。ツェッペリンの場合、「永遠の詩」のアルバムには衝撃を受けた反面、映画はアルバムでの演奏を検証できるものではなく、心底がっかりさせられたが、ザ・フーのほうは、「キッズ・アー・オールライト」のアルバムでの演奏にはあまり驚きはなかった反面、映画はアルバムでの演奏を検証できるものとなっており、とりわけアルバムでのピートの演奏が、大きなステップや誰よりも高いジャンプ、さらには右手の超高速回転(ウィンドミル)をやりながらのものであったことが判明し、僕は驚愕するとともに、「こいつら気違いや!」(もちろん褒め言葉)と狂喜してしまったのである。

 では、ピートとはどのようなギタリストだったのか。まずピートに特徴的な奏法があったかを見ると、ウィンドミル以外で浮かぶのは、フィードバック奏法(これを奏法とは言いたくないが一般の用語に合わせる)だ。代表的なものは「エニーウェイ・エニーハウ・エニーホエア」の間奏だろう。ここではトグルスイッチの切替え(一方のボリュームをゼロにする)なども利用してフィードバックをコントロールしているが、フィードバック音を伸ばして増幅させ、倍音のバランスがピークになったところでピックスクラッチ、というのが定番だろう。フィードバック奏法といえば、ビートルズの「アイ・フィール・ファイン」のイントロが有名であり、たしかにレコーディングされたのはこれが最初である。しかし、ビートルズのものは単なる効果音であったのに対し、ピートの場合はコードを弾いて、どの音をフィードバックさせるかによって立ち位置・角度等を変え、これでコントロールまでしていたのだ。ピートはフィードバック奏法について、自分が最初であることを再三に亘って主張しているが、この点は、意外にもリッチー・ブラックモアが「間違いない」とピートを擁護している。ちなみにブラックモアは、同じインタヴューで「ピートのコードワークは本当に素晴らしい」とも語っている。

 もっとも、フィードバックについては、ヘンドリックスがイギリスに渡る前に、すでにアメリカでのステージでやっていたという説もある。アメリカ国歌かどうかは知らないが、例の爆音を出す時などにやっていたということか。たしかに、ウッドストックでの例のアメリカ国歌を聴けば、今でも全身に鳥肌が立って思わず涙が出そうになるほどであり、ヘンドリックスならピートを見ないでもやっていたかもしれないと思ってしまう。

 ここからは、ピートがギターに対してどんなことをしてきたかを見てみよう。まず、ギターの弦をマイクスタンドにこすり付けた。ギターのネックを外側・内側に曲げた。ギターを弾きながらトランポリンのように連続ジャンプをし、5回のジャンプで全て違うジャンプをみせた。助走をつけてステージの袖からジャンプし、ステージ中央に正座でスライディング着地した。高くジャンプしすぎてギターで天井に穴をあけた。ギターを叩きつけてステージに穴をあけた。ギターに膝蹴りをした。ギターに頭突きした。ギターを破壊した。徹底的に破壊した。

 なお、これらは全て、ピートが最初にやったことばかりである。ピックスクラッチにしても、何種類ものスクラッチを最初にやっている。ウィンドミルもそうだ。その危険を顧みないスピードもバカげていた。まるで赤塚不二夫のマンガだった。ウッドストックの「シー・ミー・フィール・ミー」では血のにじんだ右手がアップになるが、流血しないライヴなどなかったであろう。よく右手に大ケガをしなかったものだと思う。

 そういえば、ピートが語っていたことであるが、ヘンドリックスが死の直前、ザ・フーのメンバーを前にして、「ザ・フーのみんなには本当に世話になった」と礼を言ったという。当時、ピートにとってヘンドリックスは、ライバルというより自己の存在を抹殺しかねない存在だったはずである。それでもピートはヘンドリックスの死を心から悲しみ、その後、同じ運命をたどりそうに思われていたクラプトンを救出するのである。有名なアームズコンサートは、そもそもの企画をしたのはロニー・レーン(最後はフェイセズ)であったものの、クラプトンの存在なくして「クラプトン、ベック、ペイジの共演」という夢のステージはなかったはずだ。そして、自身にピートの企画したレインボーコンサートにより救われた過去がなかったとしたら、クラプトンはアームズコンサートでの奇跡の共演を実現できなかったと思えるのである。後にクラプトンは、公の席で「私はピートに救われた」と語っている。

 しかし、こんないい話はピートに似合わない。それより、ロックファンなら一度はザ・フーの全盛期のライヴを観るべきだ。それも、「キッズ・アー・オールライト」の映画でだ。ただし、最後の曲「無法の世界」が終わっても、そこからエンドロールとともに「ロング・リヴ・ロック」が始まるので、それもしっかり観て欲しい。これを最後まで観て、そして「ロング・リヴ・ロック」を最後まで聴いて、映画の終わりを心から寂しいと思えたら、あなたはもう立派なフーマニアである。