レッド・ツェッペリンⅠ(レッド・ツェッペリン)

 ホームページ上で僕がいろいろ変なことを書いてしまったので、実はいまではあまりレッド・ツェッペリンを好きではないのでは、と思われているかもしれないが、いまも大好きなバンドである。

 さっそく中身に入る。オープニングは「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」だ。この曲ではボンゾのドラミングが当時のロック界に大きな衝撃を与えた。

 ここでドラムの音を説明したい。一般に、ドラムの音を口で表す場合、バスドラは「トン、又はト、或いはトッ」等、スネアは「タ」と表す。だから、通常のエイトビートであれば、「トン・タ・トトタ」や「トン・タトットタ」となり、スネアを倍にすると、「タトタトタトタト」となる。キース・ムーンの箇所で「トトタタトトタタ」と表したのはそういう意味である。では、「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」のいわゆる頭抜き3連はどう表すのか。実は「ストトストト」なのである。「ス」とは何かって?何もないのである。昔からボンゾといえば「ストトストト」であり、僕の若い頃は「頭抜き3連」なんてシャレた言い方はしなかった。うそだと思えば「ストトストト」で検索してみればいい。ボンゾのバスドラをこのように表すページがいくつも見つかるから。

 「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」は、ボンゾの大音量のフィルインと同時にロバート・プラントの歌が“In the days of my youth ~”と始まるのだが、そのイントロではいきなり心臓に悪い巨大な「E」の塊りが、ボンゾの大音量のバスドラとクラッシュシンバルとともに聴き手に襲い掛かる。歌が始まれば、そのバックは不規則なバスドラの連打と不規則なスネアに不気味に鳴り続けるカウベルである。その音空間は隙間だらけであり、一音一音の衝撃が凄まじい。コード弾きとビブラートを掛けた単音弾きを交えたギターリフも当時は画期的であり、凄みもあって鳥肌が立つほどのカッコ良さだった。最後も唸りを上げたペイジのギターとプラントのボーカルの掛け合いで、この部分などがジェフ・ベックの「トゥルース」の影響といわれるのだろう(この点、ペイジは否定しており、実際にも違うだろう)。

 「トゥルース」の影響といえば、「ユー・シューク・ミー」もよく言われるところである。しかし、「トゥルース」が全くヒットしなかったならともかく、「トゥルース」はアメリカでヒットしており、アレンジも全く異なるのであるから、パクるつもりはなかったはずだ。ただ、ペイジの「ユー・シューク・ミー」もジェフ・ベックと同様にこけおどしのアレンジがあり、こういうところで当時のペイジはジェフ・ベックと張り合っていたのかもしれない。もっとも、この曲は、キーボード、ブルースハープ、ギターと順番にソロがあるが、クリームやテン・イヤーズ・アフターのようなバトルにはなっていない。当時、このようにきれいに整序された曲はあまりなかったように思う。

 「幻惑されて」も因縁のついた曲である。しかし、問題になった部分はファンにとってどうでもいい部分であり、ファンにとって大事なのは、ライヴでペイジがボウでギターを弾く部分やその後のベースリフをバックに弾きまくる部分なのである。

 アナログB面に移ると、トラディショナル調の静かな曲が続いたと思えば、3曲目はツェッペリンには珍しい素直でストレートなロックナンバー「コミュニケーション・ブレイク・ダウン」である。もっとも、ボンゾだけは素直でない。しかし、これはわずか2分半ほどで終わり、次のスローブルースではまた隙間だらけの音空間だ。今度は少ない音で、しかも小さな音でペイジは弾きまくる。これは静かなブルースであるが、それでもやはり聴き手を驚かせるアイデアが散りばめられている。

 そして、最後は「ハウ・メニー・モア・タイムズ」だ。イントロから期待感が煽られるが、その期待は裏切られず、ドラマチックでスリリングな間奏が繰り広げられる。さらにこの曲では、ツェッペリンのライヴにおいて、曲中にブルース等のスタンダードを挿入して盛り上げてからブレイクし、そこで聴衆を煽ってさらにコーダで最高潮を迎える手法が採られている。有名なのは「永遠の詩」などのライヴの「胸いっぱいの愛を」である。もっとも、「胸いっぱいの愛を」のスタジオ盤ではブルース等のスタンダードは挿入されておらず、この点で異なるが、この曲はライヴの「胸いっぱいの愛を」のスタイルの原型といえるだろう。たしかにこの曲にもいろいろと問題がある。しかし、ブルースなんてものは、極端にいえばどれも同じであり、それらの問題もペイジの音楽的才能・センスを減殺するものではない。音楽家ならペイジの音楽的才能をみんな理解している。

 ツェッペリンのデビュー当時、ロック界では、別格のスターであったクラプトンとヘンドリックスに続くギターヒーローは誰かが注目されていた。実際には、クラプトンやヘンドリックスより、例えばアルヴィン・リーなどは断然上手かったのであるが、アルヴィン・リーがクラプトンらより上に評価されることはなかった。これに対してペイジは、クラプトンらを超えるギターヒーローを目指すのではなく、どうすればロックはカッコいいかを追及し、「カッコいいロック」のフォーマットを創ったのである。

 このアルバムは、「カッコいいロック」のフォーマットを確立した記念碑であり、ロック史上、最も重要なアルバムの一つである。(1969年1月発表)