プレゼンス(レッド・ツェッペリン)

 記憶では、このアルバムは僕が高校三年の時に発売と同時に買ったはずだった。でも計算が合わない。つまり僕の最初の発表同時購入は高二の10月発売のライヴ「永遠の詩」だったのだろう。しかし、僕がツェッペリンを好きになってから発売されたアルバムであることに違いはない。

 僕としては、たったいままで誰の意見にも影響されずにこのアルバムを好きになったと思っていたが、高二ではなく高三の4月に買ったとすれば、ロック評論家渋谷陽一氏の影響は避けられないだろう。なぜなら、彼は自らを常々盲目的なツェッペリンファンと公言してこのアルバムを大絶賛し、僕も高三当時は彼のレビューを一応は信頼していたからだ。もっとも、渋谷氏が大絶賛していたのは「アキレス」であり、逆に僕は「アキレス」があまり好きではない。この点はレッド・ツェッペリンの箇所で述べたところである。

 では中身に入ろう。レコードの針をA面に落とすと、ノイズの向こうからゾクゾクするような不思議なギターのフレーズがフェイドインして来る。「アキレス最後の戦い」だ。いまから始まる壮大なおとぎ話を予感させると同時に不安感で胸が掻き立てられる。緻密に組み立てて無駄な部分をそぎ落としてもなお10分を超える大作だ。エンディングはイントロと同じフレーズでフェイドアウトする。誰かがこんなに短く感じる10分間はないと言っていたが、それは余りにも充実しすぎていて時間を忘れるという意味だろうが、僕にはそれがゆえにぐったりとしてしまう。一本の映画を観終わった感覚といえば分かるだろうか。この文脈で言うとネガティブに聞こえるかもしれないが、これが空前絶後といえる「もの凄い曲」だということには完全に同意である。

 2曲目は「フォー・ユア・ライフ」。鈍重なリフがいかにもツェッペリンという曲だ。中盤でマイナー調のリフに移ってしまうが、「アキレス」でのギターソロがちょっと軟弱だったのとは対照的に、ここではその力強いギターソロがこの曲を救っている。

 次は僕の大好きな「ロイヤル・オルレアン」。だがこれは後回しにしてアナログB面1曲目の「俺の罪」だ。こんなワクワクさせるシンプルなロックナンバーは「ロックン・ロール」以来だろう。否、これと比べるのに適切なのは「移民の歌」か。このワクワク感はイントロだけじゃなく、プラントのブルースハープの出だし、ギターソロの出だしなどでも感じられる。これがツェッペリンなんだよなあ、と一人でニンマリしてしまう。僕にとっては「アキレス」ではなく、この曲こそがこのアルバムのクライマックスだ。僕にとっての「ツェッペリンⅡ」のクライマックスが「ハートブレイカー」であることと同じである(何が同じかと言えば、どちらもB面1曲目でありロックバーでリクエストする場合にB面になる点だが、一般的にどちらもA面のほうが人気がある)。

 B面はさらに「キャンディ・ストア・ロック」「何処へ」と続くが、「ロイヤル・オルレアン」にもここで一緒に触れよう。これら3曲はいずれも「聖なる館」の「クランジ」と通じるツェッペリン流ファンクとでも言うべきものだ。しかし、曲の出来栄えとしてはこちらのほうがはるかにいい。ジミー・ペイジらしからぬトレブルの効いたファンキーなカッティングを前面に押し出したこの3曲こそが「プレゼンス」と言っても過言ではないだろう。「ロイヤル・オルレアン」は、気持ちの悪いリズムと一音上げてのギターソロがカッコいい。まるで「アビイ・ロード」の「オクトパス・ガーデン」における転調しての間奏だ。「キャンディ・ストア・ロック」はツェッペリン流のディスコミュージックか。ブレイクを多用した「何処へ」もエンディングの瞬間までアイデアが詰め込まれたツェッペリンらしい曲。ファンキーなのに聴き手を驚かせる仕掛けの連続で、緊張感と凄みで包まれている。

 最後は「一人でお茶を」。この曲はいつも「貴方を愛しつづけて」を彷彿とさせるマイナーブルースと形容されるが、あそこまで強烈に盛り上がる名曲ではない。佳作ではあるが。

 「プレゼンス」の発表は76年3月であるから、もうクイーンもエアロスミスも日本で大人気であった。彼らの分厚い音空間に隙間はなく、そのギターサウンドは重層を帯びていた。これに対し、この「プレゼンス」の音空間はスカスカである。「レッド・ツェッペリンⅠ」での「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」のような巨大な「E」の塊りのようなものも、「ユー・シューク・ミー」や「幻惑されて」、「ハウ・メニー・モア・タイムズ」におけるようなド派手な仕掛けもない。驚くべきことに、このアルバムにはキーボードすらも参加しておらず、基本的スリーピースにハーモニカが1曲入っているだけだ。だからかどうか、地味すぎるこのアルバムの欧米での人気はいまいちである。しかし、このアルバムを改めて聴き直してみて、楽曲の素晴らしさには驚くばかりだ。欧米における過小評価が不思議でならない。

 このアルバムにはEやAの開放弦を使えるギターリフが多く、またバンドが基本のスリーピースに立ち返っていたことを考えると、ジミー・ペイジがこのアルバムでライヴを強く意識していたのは間違いない。ジョン・ボーナムが生きていれば、まだまだバンドもライヴも続けるつもりだったのだろう。

 僕にとってのこのアルバムは、ロックアルバムとしては極めて地味な一枚、しかしブリティッシュロックの王者レッド・ツェッペリンのアルバムとしてはフェイバリットになる不思議なアルバムである。(1976年3月発表)