ビートルズ

 自らロックファンと公言しながら「ビートルズは嫌い」と言う人は、通常はいない。もしいれば、その人は学生時代に「俺は(私は)ストーンズ派だから」などと天邪鬼(あまのじゃく)に言って、もっともらしい理屈をつけているうちに本当に嫌いな気になったのではないか。つまり、好きでなかったから忘れていただけだ。うそだと思えば、もう一度、何十年ぶりかに聴いてみればいい。素直に聴けば、80年代以降のロックと比べてどれほどビートルズがカッコ良かったかが判るはずであり、感情的に好きになれないとしても、嫌いになる理由はないからだ。仮に、それでも嫌いだと言う人がいれば、その人は、そもそも非音楽的体質の人であるか、あるいはセールスでビートルズを上回るバンドが存在すること、及びそのミュージシャンが「ビートルズなど聴いたこともない」とインタヴューで答えた事実を真に受け(僕などはロックスターのインタヴューの受け答えなんて全部ジョークだと思っており、これを信じる人がいることに驚かされるが)、それだけを根拠に、昔のLPレコード(アルバムのこと)が非常に高価なものであったことなどは一切考慮に入れず、セールス順位でも平凡なビートルズが過大評価されていると本気で信じる類いの人であるかのどちらかのはずだ(そもそも1000万枚を超えるような桁違いのビッグセールスは、1976年に発表されたピーター・フランプトンの「カムズ・アライヴ」以後に始まった、最近(!?)のことなのである)。

 ビートルズのコアなファンであれば、自分は「ジョン派」か「ポール派」かを主張するだろう。ジョン派とポール派は、それぞれジョンが、ポールが、より優れていることを朝まで酒を飲みながら議論していた(僕がそうだった)。僕は「ジョン派」だった。大学時代、ポール派の友人の木村くん(現在、大阪心斎橋で西日本唯一〔らしい〕の洋楽専門のカラオケバーをしている)と数えきれないくらい朝まで酔っぱらいながら議論していた。ポール派の木村くんは、「ポールは初期より中期、中期より後期と徐々に良くなっている」、「解散後はポールの曲のほうが明らかに上」などと言い、ジョン派の僕は「ボーカルはジョンのほうが繊細でシャウトが胸を打つ」、「初期こそがビートルズ」、「中期にも「ルーシー・イン・ザ・スカイ」、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」、「ストロベリー・フィールズ」、「アイ・アム・ザ・ウォルラス」など、後期にも「ディア・プルーデンス」、「エブリバディーズ・ガット・サムシング」、「アイ・ウォント・ユー」、「ディグ・ア・ポニー」、「アクロス・ザ・ユニバース」などの名曲がある」などと反論した。しかし、中期以降で言えば、「リボルバー」はポールの名曲が目立つアルバムであり、「サージェント・ペパー」も上述以外の佳作はポールの曲だ。その他の後期の曲も、上述の曲に比べると、たとえば「ヘイ・ジュード」は圧倒的であり、「ホワイトアルバム」にも「アビイ・ロード」にも「レット・イット・ビー」にもポールの名曲は目白押しである。付言すれば、「イエスタデイ」だって「ヘルプ」の収録曲であるからほとんど中期の曲といえる。ジョンは自身の「イマジン」について、「やっとイエスタデイみたいないい曲ができた」と言ったらしいが、僕から見れば全く届いていない。「イマジン」は普通の曲であるのに対し(僕にとっては名曲ですらない)、「イエスタデイ」は7小節を単位として創られた変態(天才)の曲である。7小節なんていう気持ち悪いはずの曲を普通の曲のように聴かせるのが天才なのである(ちなみにジョンの曲でこのような変態の曲としては、「エブリバディーズ・ガット・サムシング」がある〔ブレイク後の決めのギターフレーズをカウントして欲しい。当然に4の倍数[少なくとも偶数]だと思って聴いていた人はきっと驚くだろう〕)。これに対する僕の(ジョン派の)最後の反論は、「ジョンは中期以降、普通の美しい曲ができても発表しなくなったのだ」しかなかった。この根拠は、ジョンが「ウォルラス」のカップリング曲を「ハロー・グッバイなどというくだらない曲」と言っていることだ。客観的に見て「ハロー・グッバイ」は独創的でカッコいい曲であり、ただ歌詞がくだらないだけだ。

 たしかに中期以降のジョンは、素晴らしい曲と退屈な曲の差が激しかったように思う。普通の当たり前のポップソングは一曲もなかった。しかも、僕にとって耐えがたい作品群があり、それは「ヨーコ押し」の曲である。そして、これらの傾向はソロになってさらに顕著になった(かつては反戦ソングも「ハッピークリスマス」以外は大嫌いだった)。さすがの僕もジョンの才能は枯れてしまったのかと疑いかけていた。

 そんな時に発表されたのが「ダブル・ファンタジー」だった。それは全曲カヴァーだった「ロックン・ロール」から5年、「心の壁、愛の橋」からは何と6年ぶりの新作だった。そこには肩の力の抜けたジョンがいた。変に力むことなく、等身大の自分をジョンが取り戻したように感じた。だからこそ、「ウォッチング・ザ・ホイールズ」、「ウーマン」という珠玉の名曲が生まれたのだと思う。やはりジョンの才能は枯れていなかったのだ(ただ、「ヨーコは要らないのに」とは思っていたが)。

 しかし、ジョンがようやく等身大の自分を取り戻したそのわずか3週間後の1980年12月8日、ジョンは突然帰らぬ人となった。この日にジョンが射殺された事実は、僕が「ロックは70年代で終わった」と考える根拠の一つである。

 ちなみに今の僕は、ジョンのほうが優れていると主張する人に対し、「ポールがジョンに劣るとは思わない」と言うだろう。なぜなら、それが僕の本心であると同時に、後述するとおり、ジョンとポールはそもそもその作曲観もメロディーに対する考え方もまるで異なる異質の天才と考えられるからである。

 最後に一言。よくビートルズは下手くそだと言われるが、それは当時の他のバンドのギタリスト連中がビートルズのリードギターについて言ったまでのことで、それ以上の意味はない。