ローリング・ストーンズ

 これは定法である。何がって順番のことだ。ストーンズはデビュー直後からスターであったが、ビートルズと異なり、デビュー時点ではオリジナル曲はほとんどなかった。にもかかわらず最初からスターであったということは、それほどにビートルズの人気が凄かったということであり、ストーンズにはアンチビートルズとしての期待が一身に集まったということだろう。だが、その後、十分な音楽性を有することが理解されるようになり、またビートルズの解散もあって、アンチビートルズの地位を脱却した。

 上記はイギリス本国でのことであるが、この点は、日本でもほぼ同様のことがあてはまる。ただ、僕の場合は少し異なる。それは、次に紹介するザ・フーが、日本ではあたかも「アンチストーンズ」の関係に近いと思えることにある。しかし、僕はザ・フーのファンであるが、「みんながストーンズを好きっていうから自分は別のバンドを好きになろう」というような天邪鬼な気持ちからファンになったわけではない。むしろ大学入学前に、「ベガーズ・バンケット」、「レット・イット・ブリード」、「スティッキー・フィンガーズ」、「イッツ・オンリー・ロックンロール」(以上はアルバム)、「サティスファクション」、「ホンキー・トンク」の来日記念盤シングル(ストーンズは73年に来日が決定していたところ、ミック・ジャガーの大麻所持による逮捕歴を理由に日本政府から入国を拒否され日本公演は中止に追い込まれたが、いったん店頭に出された来日記念盤はそのまま発売され、75年まで田舎のレコード屋では店頭に売れ残っていた)、ライヴ盤「ゲットヤーヤー」、初期の2枚組ベスト盤を持っていて、一応のストーンズファンだと自認していたところ、高校3年の時にザ・フーの「ライヴ・アット・リーズ」、浪人中に「フーズ・ネクスト」、「四重人格」を聴き、このような曲やアルバムのアイデア、演奏力、さらにライヴパフォーマンスまでもが桁外れのモンスターバンドが日本であまりに無名すぎることに怒りを覚え、その熱狂的ファンになってしまったのだ(実は高校2年の時にトミーの映画を観て「トミー」のレコードも買っていたが、その時はまだ理解できなかった)。

 しかし、だからといってストーンズの価値が下がることはない。僕にとってのストーンズはミック・テイラーが在籍した「イッツ・オンリー・ロックンロール」までなので、「サタニック・マジェスティー」までを初期(普通の分類ではない)、「ベガーズ・バンケット」と「レット・イット・ブリード」、「ホンキー・トンク」、「ジャンピン・ジャック」までを中期、「ステッキー・フィンガーズ」以降を後期とすると、初期のポップ(ブラックと呼ぶ人もいるが、それはストーンズの本質ではなくアンチビートルズとしてのストーンズだというのが僕の理解)も全く悪くはない。しかし、ストーンズが独自の音楽性を築いたのは「ベガーズ・バンケット」と「レット・イット・ブリード」であり、その魅力は独特の緊張感だろう。ミック・ジャガーやキース・リチャードが自覚していたかどうかかは知らないが、ミックのビブラートをかけない、吐き捨てるようなエコーのかかっていないボーカルは、ジョン・レノンが「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」でのポールのエコーのかかっていないボーカルを「『覚醒』の意味に用いた」と語ったことを連想させる。また、「ベガーズ・バンケット」の全般にいえることだが、「サタニック・マジェスティー」まで続けたビートルズの後追いを止め、虚飾を脱ぎ捨てたことが大きいだろう。「レット・イット・ブリード」では音がやや分厚くなっているが、「スティッキー・フィンガーズ」以降と異なりキースのギターはあくまで控えめであり(「モンキー・マン」の例外はあるが)、そこには「レコードではライヴと違う世界を創る」というバンドの明確な意志が認められる。加えて、中期が特に素晴らしいと感じる理由は、ミック・ジャガーが緊張感を生み出す独自の唱法を確立したといえることだ。中期のミックの歌にはまだ艶や華やかさはないが、「ベガーズ・バンケット」の世界にそのようなものは不要だった。

 では後期はどうなのか。たしかにいいと思う。これこそストーンズだという人がむしろ多数かもしれない。キースのオープンGの5弦ギターが前面に出たのがこの時期だからだ。代表的なものは「スティッキー・フィンガーズ」の「ブラウン・シュガー」であろうが、このアルバムでは至るところでキースのオープンGが炸裂している。このスタイルは「メインストリート」以降、よりチープな形で踏襲され、ストーンズサウンドの基礎を形成する。もちろん、中期にも、キースは「ジャンピン・ジャック」や「ホンキー・トンク」の他、多くの曲でオープンGの名演があるが、ほとんどの場合に前面には出ておらず、その印象は後期とまるで異なるのである。すなわち、後期のストーンズは、レコードの音がライヴに近づき緊張感を失うのである。

 しかし、ロックのカッコ良さは緊張感の中にこそあると思う。ロックに安心感など不要だろう。「悪魔を憐れむ歌」、「ストレイ・キャット・ブルース」に「ストリート・ファイティング・マン」、「ジャンピン・ジャック」や「ホンキー・トンク」などはライヴでもやっているが、「ゲットヤーヤー」でのミック・テイラーの歴史的名演を加味しても、いずれもスタジオヴァージョンが圧倒的にカッコいい。この点は、ザ・フーやツェッペリンではライヴのほうがカッコいい曲が多いことと対照的である。

 そうだとしても、これはストーンズがライヴ向きでないことを意味しない。ただ、中期についてはスタジオヴァージョンがあまりにもカッコ良すぎるだけなのである。