E L P

 これはエマーソン・レイク&パーマーの略称であり、言わずと知れたプログレ界のスーパースターである。このバンドはELPであってEL&Pではなく、「P」とはパーマーであって、パウエルは「P」を名乗ってはならないとされている。パウエルとはジェフ・ベックやリッチー・ブラックモア、マイケル・シェンカーらと一緒にプレイした、あのコージー・パウエルだ。

 このバカ話を続けると、表向きは、キース・エマーソンとグレッグ・レイクがELPを再結成しようとしたが、カール・パーマーがエイジアの活動に集中すべく参加を固辞したため、やむなく同じ「P」のイニシャルを持つコージー・パウエルが誘われたとされている。

 しかし、こんな話は、たとえ真実だとしても、辛辣なロックファンは信じていない。多くのファンは、エマーソンとレイクはパーマーを切ってELPを再結成したかったのだろうと考えているのではないか。特に、真面目にバンド活動に取り組んだことのある者であれば、「カール・パーマーとリンゴ・スターではどちらが上手い?」と訊かれれば、全員が「リンゴ・スター」と即答するのではないか(それも薄笑いを浮かべながら)。

 バカ話はさて措き、ELPだ。僕はギターを弾いていたので、ギターがメインでないELPに興味はなかったはずだが、どこで興味を持ったのかを全く思い出せない。しかし、どこで間違ったのか、聴いてしまったのである。まるで想像もしなかった音楽を。僕はロックやポップミュージックであれば、ギターを弾きながらであれば、ほぼコード進行を耳でコピーできる自信があったのだが、まずファーストのオープニングの「未開人」を聴いて、コード進行がまるで判らなかったのだ。当時の僕は、カッコいいと感じた部分はコード進行をすぐに調べていたところ、「タルカス」の「噴火」から「ストーンズ・オブ・イヤーズ」に繋がる部分の展開や「トリロジー」の「永遠の謎」のサビなど、コード進行が滅茶苦茶カッコいいと思うのだが、いくら調べても判らないのである。もちろん、作曲者やアレンジャーが実際にあてはめたコードが違うとしても(例えばCとAm7やAm7とF#m-5などの代替コードとなりうるものの他、ディミニッシュやオーギュメント、-9や+9などのテンションコードは半音展開などで後からあてはめることが多いと思う)、だいたいのコードは最低限の素養があれば判るのが普通なのだ。もっとも、コードなんてものは、ギター中心のロックやフォーク、ポップミュージックなどで、ここ40~50年の間で急速に利用されるようになった、ただの便宜的なものかもしれない。一般にピアノで作曲されるクラシックの世界では、作曲者自身がコードを意識していないのだから、コードが判らないなんてことはたいした問題ではないのだろう。それに、コード進行が判らないと言えば、もっと謎の人がいる。ピート・タウンゼント(ザ・フー)である。この人の曲の多くも耳コピー不能である。

 ELPの特徴は、多分に難解かつ高尚ではあるものの退屈なイメージのある他のプログレッシヴロックと異なり、エンターテイメントに徹して聴く者を楽しませるところにあるといえよう。どんなに長い曲でも、展開が速く、また随所に聴く者を驚かせるアイデアが散りばめられていて、聴く者を退屈させないのだ。ファーストなら、「未開人」と「ナイフ・エッジ」がこれにあてはまる。「タルカス」からはその傾向がより顕著になり、レコードのA面組曲ではその展開はスリリングであり、「トリロジー」でもリスナーをワクワクさせ、ドキッとさせる仕掛けが至るところに施されている。

 その集大成が「頭脳改革」である。「悪の教典」の「第1印象」から「第3印象」が素晴らしいのは言うまでもないが、それ以外も素晴らしい。レヴューではないのでそれ以外については割愛するが、「悪の教典」、とりわけ「第1印象」と「第3印象」の目くるめくような鮮やかな展開は、ELPの真骨頂とでも言うべきもので、まさに唯一無比で空前絶後のものといえるだろう。

 しかし、エマーソンとレイクの天才をもってしても、「頭脳改革」はちょっとやりすぎたようだ。ELPがELPであり続けること、すなわちELPのアイデンティティーとは聴く者を驚かせ続けるアイデアにこそあったのだが、彼らは最高傑作と絶賛された「頭脳改革」で燃え尽きたのか、これを発表した73年以降アルバムを発表できなくなってしまったのである。そして、ようやく77年に発表した「ワークス」は、もはやかつてのアイデアの散りばめられたものではなかった。単にアルバムを売るためにELP名義で発表されただけの、実質的には3人のソロアルバムの寄せ集めだったのである。

 そうだとしても、ロック界へのELPの功績は計り知れない。それは、ロックにクラシックのアイデアを持ち込んだだけには留まらず、「展覧会の絵」や「ナット・ロッカー(くるみ割り人形)」、「ホウダウン」などのクラシックにロックからの解釈を与えたことで、クラシックファン以外の一般人に対してクラシックを身近なものにした功績も認められるだろう。