いきなりハンブル・パイの話になるが、ハンブル・パイのデビューシングルは「ナチュラル・ボーン・ブギー」である。この曲はグレッグ・リドリーが1番のAメロを担当し、ピーター・フランプトンが2番のAメロを担当する。2度目のサビが終わってピーター・フランプトンのギターソロがあり、ようやく3番でスティーヴ・マリオットが登場するのだが、その伸びやかで艶のある歌声と他の2人のダミ声とでは、まるでプロのオペラ歌手と高校生バンドほどの違いがある。そして、その気取った登場の仕方は、あたかも満を持しての真打ちの登場なのである。
マリオットは、その当時すでにロック界最高のシンガーの評価を得ていたが、スモール・フェイセスの65年のデビュー当時を聴けば分かるとおり、実は最初からすでに完成されたシンガーであった。この点は、ミック・ジャガーやロジャー・ダルトリーのデビュー当時の稚拙な歌声と比べれば愕然とする。また、マリオットの凄さはさらにその進化にある。マリオットはスモール・フェイセスでのデビュー当時(65年)からC程度の声は楽々出ていたが、ハンブル・パイの「スモーキン」(72年)では、「ホットン・ネイスティー」においてG(みんなの想像する音〔ギターの第1弦第3フレットの音。実はこれはスタイル・カウンシル時代のポール・ウェラーの限界高音である〕より1オクターブ上のGである)まで出しているのだ(知らない人が多いがもちろん裏声である。当然だがロバート・プラントだって同じだ)。この事実とマリオットに心酔していたロバート・プラントの急激な衰えを比較すると驚かされる。なんと、フォーシンボルズ(71年)の発表後にすでにプラントは原曲の高い声が出なくなっていたのである。デビューからわずか3年足らずで全盛期が終了したのである。
スティーヴ・マリオットを語る場合、どうしても同時期に活躍したスティーヴ・ウィンウッドとの比較は避けられない。この勝負、2chではミュージシャンとしてのポテンシャル勝負の形でウィンウッドの勝ちで決着している。しかし、マリオットの価値は、ステージ上で唾を飛ばしながら絶唱する姿にこそあるのであり、ウィンウッドの作曲能力やピアノ他の多くの楽器をこなす能力(マリオットもスモール・フェイセスやハンブル・パイで多くの名曲を作曲しているが、リードギターはSDG時代のウィンウッドのほうが確実に上手かった)などはマリオットに不要なものだ。マリオットの絶唱は、それだけで人の心を惹きつけ、揺さぶるのである。だからなのか、マリオットのファンは、スモール・フェイセス初期のR&B色の強い頃(デッカ時代)か、ハンブル・パイで不評だったアコースティックな部分(ピーター・フランプトンのカラー)が薄まった後期を好きな人が多いが、僕が一番好きなのは、ハンブル・パイのファーストなのである。理由は、ハンブル・パイではファーストがロックとして一番カッコいいからだ(ハードロックとして一番の意味ではない。ハードロックとしてなら「ロック・オン」や「スモーキン」のほうがハードである)。なぜなら、もう1枚マリオットで好きなアルバムを挙げるなら、スモール・フェイセス時代の「オグデン」になるからである。ずなわち、ロックとしてどちらのアルバムもそれぞれのバンドの最高傑作と思えるからである。そして、スモール・フェイセス時代なら、ソウルフルなマリオットではなく、ロックシンガーらしく、「イチクー・パーク」や「レイジー・サンデー」(イミディエイト時代)のような気取った歌い方や遊び心のある歌い方をするマリオットが僕のお気に入りだ。すなわち、ロックファンである僕にとっては、イミディエイト時代のバラエティーに富んだマリオットの歌のほうがロックなのである。
マリオットとウィンウッドの比較に戻れば、僕はウィンウッドはSDGのベスト、トラフィック2枚、ブラインド・フェイスの4枚しか持っていないが、ウィンウッドの歌としてはSDG時代が最もパワフルでソウルフルに感じられる。逆に最も枯れているのがブラインド・フェイス時代だ(楽曲も良くない)。そして、ウィンウッドが本当に売れたといえるのは80年以降であるが、それ以来、全米ヒットチャートの常連になるなどウィンウッドは息の長い人気を保っている。そして、ウィンウッドが売れたのは、ソウルフルな歌を歌う天才少年としてではなく、ハンサムでジェントルな大人のシンガーとしてであろう。これに対し、マリオットがスターであったのはハンブル・パイまでであり、それでも当時のウィンウッドより人気があったとまでは言えまい。つまり、人気の点で、マリオットはウィンウッドに遠く及ばないのである。ローリングストーン誌の選ぶいつもの100人に、ウィンウッドの名前が入り、ロバート・プラントやポール・ウェラーらを熱狂させた稀代の名シンガーが入っていないのは、人気の違い以外に理由は考え難い。しかし、変な順位でランクインするくらいなら、あんなナンセンスなランキングから超越した存在でいたほうがいい(僕の他の発言と矛盾があるかもしれないが)。
「ロッキン・ザ・フィルモア」を聴けばマリオットのやりたかった音楽が判るが、だからこそ、より強力なギター、たとえばアルヴィン・リーやロリー・ギャラガーがもしハンブル・パイにいたら、などと考えてしまう。クラプトンとジェフ・ベックにはそれぞれウィンウッドとロッド・スチュワートという意中のシンガーがいたため、マリオットとのスーパーグループ結成は無理だったように思えるが、マリオットであれば、自らが望めば誰とでも組めたはずである。ひょっとして、マリオットは自分と似た境遇にあったフランプトン以外のロックスターには心を閉ざしていたのか、とも考えたが、ウィンウッドとは正反対の「俺様」だったのだろう。
マリオットは死の直前、「カムズ・アライヴ」の成功にもかかわらず不遇が続いたフランプトンと再会し、ハンブル・パイの再結成を約束していたらしい。マリオットの早すぎた死が惜しまれる。